先日、東京都内で取材の合間にラーメン屋に入った。なぜその店に入ったかと言えば、お昼なのに空いていたからだ。

 あまりお腹が減っていなかったが、何となくチャーシューが食べたくなって、入り口の自動販売機でチャーシュー麺のボタンを押した。私はラーメン屋に入ると条件反射で餃子を求めるので、そのときも餃子を注文した。程なく出てきたチャーシュー麺に驚いた。大きくて分厚いチャーシューがラーメンの広い器を一面覆い尽くしていた。

 私の勝手な思い込みとして、1―2枚美味しいチャーシューを食べたかったのだが、食べても、食べてもチャーシューが底から現れてくるため、半分以上残してしまった。私は未だに、この手の失敗をしてしまう。スープはまあまあ美味しかったので「初めて訪れる店では『ノーマル』なラーメンを注文すればよかったな」と後悔した。

 しかし、いくらチャーシューが好きだとしても、「一度にこんなに大量のチャーシューを食べたいと思う人がそんなにたくさんいるのかなぁ。ちょっと極端過ぎないか?」と思った。

 それから間もなく運ばれて来た餃子は、無個性な「フツー」の餃子だった。餃子に関しても、私の店選びが悪いせいか、ラーメン屋で美味しい餃子に当たったことがあまりない。一時期、美味しい餃子を食べさせるラーメン屋を探し歩いていたくらいなのに、満足できる餃子に出会えない。美味しい餃子を出すラーメン屋をご存じの方は、ぜひ教えていただきたい。

 さて、ラーメン屋の話ばかりになったが、親子丼などの丼は、店の実力に大きな開きがある。街角の定食屋や、蕎麦屋で食べる親子丼は、味も、見た目もいわゆる「フツー」が多いが、老舗の焼鳥屋などが提供する親子丼は、やはりひと味違う。また、カレー屋で食べるカツカレーのカツは「フツー」だが、トンカツ屋で食べるカツカレーのカツは気合が入っている。

 私が普段行くのは、大衆店ばかり。すると大半の店は「格別に美味しくもないが、不満を言うまで不味くもない」というレベルの味に落ち着いている。

 もちろん、高級料理店に行けば感動的な美味に出会えることもわかっている。しかし、それにはそれ相応の対価を支払う必要があるし、当然客も他店では味わえない美味を求める。このため美味でなかったときのショックを考えると、つい安くて美味しい「幻」を探してしまう。

 けれど、不思議なのは、いわゆる「フツー」の味を提供する大衆店が潰れることなく長年続いているということだ。出前を取っても「フツー」の親子丼しか持ってこない蕎麦屋がしっかりと営業できている。「何十年も変わらぬ無個性な味」の親子丼に出会うたびに、逆に感心したりもする。一方、クセになりそうな麻婆豆腐を出す中華料理店がいつの間にか潰れていたり、美味しい枝豆を出す居酒屋が閉店したりする。凝りに凝ったコーヒー豆を提供する喫茶店が街から消える一方、「味も香りもしない」無味乾燥なコーヒーを出す店が満席になっていることも多い。志が高ければ、日々美味への追求を怠らず、個性的な味を出そうと「クセ」を付けたりもする。だが、必ずしもそれが上手くいくとは限らない。奇抜さや、行列のできる人気店ではなく、「フツー」の味を求める客が案外多いことに気づく。

(編集長・増田 剛)

Source: 旬刊旅行新聞